.徒然2014年 1月記



1月 30日
大寒
第七十二候 ....?始乳....(にわとりはじめてとやにつく)

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やっとこさ七十二節季ひと巡り。これにて終了。しかし、良く出来ていました。無意識のことを意識させられた。暑い、寒い、風、空気、雲、土、草、自分、生きている他のもの、すべてに対して、“おや?”と思う(気付く)ことができるかどうか、だ。そのワンクッションで上手く生きていけるのではないだろうか。自分の置かれた場所にも依るが。

新しい着尺に掛っている。染めはそろそろ終了。立春に意識して取り掛かるとする。

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1月 25日


大寒
第七十一候 ....水沢腹堅....(さわみずこおりつめる)

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木漏れ日を受けて“春遠からじ”

今日の良き日 黄水仙、沈丁花、春ラン、つぼみが見える。バイモユリの芽が見えてきた。と、覚書。


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1月 22日

“春遠からじ”の本日。気温の2.3度高で体が楽、と、実感。しかし、夕方はまた寒い。

朝方に夢を見て、前にも見た!と夢の中で確認し、二又の道をどっちに行ったらよいかと迷っている。帰る道は確かこっちだったと、思ったら三又になっている。こっちだったか。などと迷っているところで目が覚めた。疲れる夢。暗くて、ぬかるんでいて、人がいなくて、寒い。春よ来い!早く来い!

つぎのきものも“微笑みがえし”バージョンで。糸がよく見えるようになってきた。何(十?)年かかったのだろう。月日が先に過ぎてゆくようだ。人によって必要とする時間は違っている。比べる術もないが自分がそれを知っていればよし。

お正月に読んだ「冬虫夏草」でずっと残っていた言葉がもう一つ。「手に負えぬ煩いは放っておけ」。ジローが戻ってこれないほどに煩っていたことが何だったのかわからないが、「放っておく」というのも1つの手段であると、理解した。

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1月 20日
大寒
第七十候 ....款冬華....(ふきのはなさく)

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湯のしから着尺が帰ってきた。いとおしい。しばらく眺めて、陽に当てて、衣桁に掛けて、仕立てのイメージを。つぎの模様出しを考えながら。一昨年、わが庭で弾けた和綿の茶綿の種。朝友の庭で今年また、弾けてくれた。時間かかり過ぎで皆が忘れたころに。それも“ほっこり”という言葉を形にした姿。いとおしい。今年はまた種をまこう!と思う。昨今いろいろな“力”が話題になるが、“待つ力”も有りかも知れぬ。。

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1月 16日
小寒
第六十九候 ....雉始?....(きじはじめてなく)

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機織り無事(?)に終了。昨年末にあと10日で終わる、と思って、20日。感覚がかなりずれていたが、とにかく終わった。
今年の寒さは身にしみる。1日に何回寒いと口にするのだろう。初日の出のような霜やけが足の両親指に出来、熟した赤色に変わってきたが、そろそろ治るのだろうか、などと、どうでもよいことを考えながら、機周りを片づける。寒いと、体がうまく動き出さないが、頭もそうらしい。ぎしぎしと音が聞こえそうだ。

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1月 11日
小寒
第六十八候 ....水泉動....(しみずあたたかをふくむ)

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1月 6日
小寒
第六十七候 ....芹乃栄....(せりすなわちさかう)

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1月 3日

朝ドラで「ぬか床」がしゃべる。気になっていたが、やはり、きっと、 「沼地のある森を抜けて 」 に係わっていると確信を持つ。



1月 2日

「りかさん」 「家守綺譚」 は梨木氏の著書で一番波長が合ったと思っている。そして 「村田エフェンディ滞土録」。 

繋がりを楽しみに 「冬虫夏草」 を読み始めた。水辺で船の中で。 淡々と読み進みながら 「f植物園の巣穴」

「僕は、そして僕たちはどう生きるか」 にも繋がり、少々、趣が違ってきた。梨木氏の言葉で語られた様々なことが蘇った。

少々言葉や文字使いに難儀したが。 色々な意味で境界線という隙間の面の物語であると思う。今の時点では。ゴローを探して、そして見つけ、呼ぶ。そしてゴローがいちもくさんに駆けてくる。戻ってくる。ここに、集約されているのではないだろうか。ゴローは境界線の一番あちら側から、綿貫の居るこちらに帰ってきた。実際にイワナが人の姿になって旅館を、などとは考えずらい。が、人は自らも忘れてしまうことがある。しかし、生きている。イワナは綿貫が拾った“証”を手にして水の中に帰れた物、疲れて手首をつかまれて魚籠に、そして食われた物。

生きるモノみな、境界線の面の向こう端とこちらの端の間でしっかりと生きている。そしてどちらから呼ばれるか、だ。その時には潔くいちもくさんに走る。そのためにはそこでしっかりと生きていること。かな、と、今は思う。もっと深いものがあるかも知れないがわからない。時間がゆっくりとたっぷりとあったので読めた、読み切れた。日々の生活の中では無理だったかもしれない。

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1月 1日
冬至
第六十六候 ....雪下出麦....(ゆきわたりてむぎいずる)

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..............謹賀新年..............

あっという間の1年でした 無事に新年を迎えることができました。

初日の出は すべてのものに感謝の念を抱く瞬間でした。


静かな 開け前


そよ風くらい のち 強風波浪注意報


のち 警報 出港停止

本読みで始まった新年
「冬虫夏草」梨木果歩著ほぼ読了

水辺にて

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