ピサックの日曜市に物々交換に近くの村からやってきたインディオ。(マルカパタ)

帽子でどこの村の住人か分かるようになっている。帽子そのものはスペイン人が入ってきてからだが、村によって特徴を出すようになったのはインディオの民族性からである。

女の人は民族衣装で決まっているが男の人達は、なんとも頼りない。


向こうに見えるのが高峰ソライヤ山。

山肌にはとうもろこしやじゃがいもの階段畑、日本でも見たことの有るような懐かしい景色が続く

ピサック村は、クスコの北方31`のウルバンバ渓谷にある集落。

クスコから車で、サクサイワマン砦の横を通りタンボマチャイ遺跡を抜けて北へ行く。

日干しレンガ(アドベ)の家々に囲まれて市場の広場がある。


インカ時代、近隣のインディオ達がこの市に野菜や穀物、手織物などを持ち寄り、物々交換していた。

現在は観光客もたくさん居るが、まだまだインカ時代の市の雰囲気を感じられる。



村の広場に露天がひしめく。古代ペルーの絵柄を織ったマンタや壁掛け、帽子やセーターも並ぶ。

観光客相手に民芸品が多い。


たまねぎ、にんじん、じゃがいも、とうもろこし、唐辛子、香草など色々並ぶ。

いつも見なれている野菜までが珍しく思えてきてしまう市場である。

男達は一緒に市場に来ても、チチャと言う地酒に酔いしれている。


実際にインディオの人が使っていたマンタ、どっしりと重いのは汗と土とを含んでしまっているからだと思う。

化学染料ではなく天然の材料なのにこんなにも色鮮やかに染まるのかと驚く。現代のものには化学染料で染めた糸が使われ、何とも残念だが時代の流れで仕方ないことなのだろう。


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インカ帝国
中央アンデスの海岸地帯、高地でさまざまな文化が栄えた。それら諸文化の遺産を集大成して、アンデス地域の大部分を統合したのがインカ帝国。15世紀半ばかや約1世紀に渡り栄えた。首都はクスコ。標高3400メートル。スペイン人が侵入してきた時は、人口20万南アメリカ最大の都市であった。

インカ帝国の滅亡
16世紀はじめ、スペイン人の侵略によって崩壊する。大航海時代。日本ではポルトガル人が種子島に鉄砲をつたえ、フランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教に日本に来る。室町時代の後半。

メスティーソ
スペイン人とインディオの混血。現代は、国(ペルー、ボリビア)の政治や経済の実権を握っているのは白人。その下層にいるのがメスティーソ。最下層がインディオ。

チャンカイ文化
今から約800年前、ペルーの首都リマ市から約80キロ北の海岸にあるチャンカイ川流域を中心として栄えた文化。
古代アンデスの染織の技法がほとんどチャンカイ文明にみられる。
平織り、浮き織り、つづれ織り、風通織り、紋織り、縫い取り織り、縫合織り、織合織り、絽、羅、紗、縫い編み、捻り織り、刺繍、レース、ビロード、組み紐、等々、今日の染織技法の殆どが現れている。
自由な表現でのびやかな見ていて楽しくなる図案が多い。焼き物も同じである。
文様はパターン化された幾何学模様が多い。鳥、蛇、猿、蜥蜴、狐などの動物文様。とうもろこし等の植物文様。その他波の模様などの幾何学模様。

チャビン文化
紀元前900年から紀元前100年頃、ペルーの中部山岳地帯を中心に生成した文化。宗教性が強い。

パラカス文化
紀元前500年から紀元元年頃、ペルー海岸地帯中部にある半島を中心とする地方文化。この時代の遺跡から織物が多く掘り出された。乾燥した地域で保存(?)状態が良かったため。山岳地帯の遺跡からは織物はあまり良い状態で出てこない。

ティワナコ文化
紀元前200年から紀元1200年頃、チチカカ湖畔で生成。大宗教建造群が残っている。

モチーカ文化
100年から800年頃、ペルー北部海岸地帯。かなり高度な社会組織、生活、習慣が成り立っていた。

ワリ文化
700年から1000年頃、ペルー中部高地で生成。

チムー文化
1000年から1400年頃、北部海岸のチャンチンを中心に栄えた王国。インカ帝国に征服された。

ペルーのじゃがいも
じゃがいもを主食としているので、工夫して栽培している。じゃがいも畑は標高3000メートルから4200メートルの間で栽培している。雨量、気温にかなりの差がある。これを利用して標高で4つに分ける。そしてさらにまた5つに区分けする。 1年づつずらして栽培していく。4年は畑を休ませている。
標高によって品種の違うじゃがいもを栽培する意味は 収穫の時期がずれるので年間を通して収穫できると言う利点と、1種類が病気などで全滅しても他の品種には伝染しないので食べるのに困らない。よく考えられている。
じゃがいもの種類は約100種類。名前がついているという。
たとえば「嫁泣かせ」イモの目がとにかく多く、そして深いので皮が剥きにくい。
「どろぼうおどし」真黒のいもなので夜に盗もうとしても見つからない。 品種改良されて大きいじゃがいももつくるがこれは売り物としている。自分達が食べるのは昔からの品種を栽培している。おいしいからである。

チチャ酒
とうもろこしから作られたお酒。造り方:とうもろこしを日陰に並べ、枯草などをかけてもやしのような芽を出させる。その後天日で乾燥させ、発芽とうもろこしのホラと呼ばれる原料を作る。ホラを粉末化して、鍋でぐつぐつと煮込む。布で酒糟を取り除き、ラキと呼ばれる大きな陶器のつぼに貯蔵して発酵するのを待つ。
翌日からでも飲めるが三、四日寝かせたほうがより発酵し、飲み頃となるらしい。昔は「処女の館」の女の人がとうもろこしを噛んでつばと一緒に吐き、発酵させた。という話もある。

チチカカ湖
チチカカ湖はインカ帝国の始祖マンコ・カパックが降臨した地。インディオたちから神の湖と崇められてきた。
標高3812メートル琵琶湖の12倍の面積がある。

ディンギー
一人乗りあるいは二人乗りの小さな船。動力はなし。1枚か2枚のセールで風を受けその力で動かす。体重の移動で方向を変えて行き風に向かっても走れる。
風も良かったし湖だからどんなことになってもどこかの岸に着くことは間違いない。問題は舟をここまで運ぶことだった。もちろんお金を掛けられれば何も問題はないのだが。

クスコからの列車
クスコの南駅 Esta.a Sur を朝8時に出発して約12時間後にプーノに到着する予定。距離にすると横浜から京都くらい。予定通りに走っても夜になる。それが、途中で牛を轢いて2時間くらいは遅れたと思う。途中、暗いと言うのはこんなにも真暗なものかと心細くなるほど真暗だった。プーノの町の灯が見えてきた時は「まるで宝石箱をひっくり返したような、、、」と言う言葉があるがまったくそんな光景だった。それまでひんやりしていた空気が暖かくなったようにも感じた。
標高3000メートルから4000メートルの高原を走る列車の車窓からは、アンデスの山並み、アルパカ、リャマの群れがみえる。最高点は標高4314メートル。La Laya の町。高山病にかかる人はこの列車ですでに危ない。どろぼうもたくさん現われる。大事なものは片時も体から離せない。

絵葉書が届かなかった理由
確認したわけではないが、帰り時間が忙しかったのでフロントのボーイさんに料金を渡して投函してもらうように頼んだのです。その時、うまく言葉が通じず、ボーイさんはチップと思ってしまったのでしょう。思い出してみても、ボーイさん達はなんとなくニコニコしていたように思います。

編物
とても細かく上手である。ゲージは10センチ70目67段(友人の調べ)

糸紡ぎ
女の人達は糸紡ぎをしている。もちろん、今の時代は化学染料で染めた鮮やかな色である。そしてまた、市販の1本の毛糸をほぐして細い糸に拠り直しをしているようである。もちろん、化学繊維も含まれてしまっている。観光客のために帽子、帯を作るようになり、諸事情はどこの国も同じなのであろう。

マルカパタ
インカ帝国の中心地であったクスコ地方。村人の大半がケチュア族インディオである。クスコからトラックで200キロメートルほどアンデス山脈の山なみ(雪山の多い東山系、標高約4000メートル)を越えて行く。

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