ここの一角は緑が豊富でうれしい
今年も咲いていた“たちあおい”福永武彦を思う

臭木も緑に

桑の実がたくさん

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母の日に頂戴したバラの花束

ここまで生きていると何度か嬉しい花束を受け取った事があったはず(きっと)。だが、こんな嬉しい気持ちになったのは“はじめて”と思うほど嬉しかった。が、さびしい気持ちもほんの少し、正直なところ。同い年の友人(きもの好きの飲み友達)が、今年はたくさん咲いたのよと、持ってきてくれたばらの花束。
「ねえ、りっちゃん、母の日だからって花束を贈る事はあっても私たちは贈られる事はないのよね、ちょっとさびしいよね、だから、はい、」
「うーん・・」とにかくきれいな花束を受け取る嬉しさが先だった。考えてみたが、この世に生を受けていることは母が必ず存在していることには間違いが無い。何らかの事情で育てられずに母の存在を知らない人はいるが。しかし、母でない人はいる。
「うーん・・」今まで考えたことがなかった。今、まだ、母がいるので母の日はあるが、母がいなくなったら母の日も無くなるのか。
「うーん・・」しばらくパズルのように考えてしまいそうな・・しかし、嬉しい嬉しい花束だった。(一生友達でいてね、という気持ちで)年を取った証拠を確認。